竹島侵略の経緯について 報道されない被害者たち

今の日本は平和ですか?と尋ねられれば、多く方が「一応は平和なのでは・・・」とお答えになることと思います。

「様々な社会問題は抱えていても、紛争などは無いから・・・」というのがその答えの前提になるのでしょうが、これは正しい認識なのでしょうか。

島根県隠岐郡隠岐の島町に存在する竹島。

この島は正式に日本の領土であり、そして島根県の行政区に含まれながらも、隣国韓国に占拠、侵略された状態にあります。

竹島 固有の領土

 

こうした状態にある領土を抱えながら、本当に日本が平和であると言えるでしょうか?

これを例えるならば、あなたの家の敷地を隣の家の人間が勝手に使用している状態にあります。

更に言えば、竹島周辺には資源も豊富に埋蔵されていますから、隣人に占有されている場所には、あなたの隠し資産が埋まっているようなものです。

とてもじゃないですが、この状態で平和な暮らしが送れているとは言えないですよね。

そこで本日は、日本が抱える領土問題の一つ、竹島について考えてみたいと思います。

さて問題の竹島、その歴史・経緯は如何なるものであったのでしょう。

日本の歴史においてこの島が登場(資料上)するのは、1618年頃(元和年間)であり、江戸幕府が領民に漁業権の許可を与えたという記録です。

元和年間と言えば、大阪夏の陣が行われた時代ですから、その歴史は非常に古いものであることがご理解頂けるはずです。

その後も日本人はこの島を利用し続け、1905年(明治38年)には、政府が島根県隠岐島司の所管とすることを決定し、知事により島根県への編入が公示されました。

当時の島根県知事も島を視察していますが、韓国からは一切クレームがありませんでした。

この時代は日本による韓国併合以前ですから、いくらでも文句は言えるはずなのにです。

また、地図等の資料的な証拠も豊富であり、最も古いもので1760年代に作成された「日本図」にもしっかりとその名を確認出来ますし、以降の地図にも日本の領土として記載が続けられているのです。

この様に日本は、竹島の領有について、史実に基づく強い裏付けを有しています。

これに対して韓国が自国の領土であると主張する根拠は、

●1140年代の歴史書 三国史記

鬱陵島という島の記述があり、これを竹島のことだと言っています。しかし現在も竹島とは別に朝鮮半島東側に鬱陵島(韓国の領土)が存在しており、これを竹島のことであると言い張るのはあまりに無理があります。

●1451年成立の歴史書 高麗史

ここでも鬱陵島の記載を竹島であるとしているが、島の描写が明らかに竹島の形状とは異なるものとなっており、この資料も説得性は皆無です。

他にも資料はありますが、どれを見ても、どう解釈しても竹島とは考え難い鬱陵島の記載を無理やり竹島である称しているものばかりなのです。

更に言えば、19世紀になって韓国で作成された地理書においては、緯度と経度で韓国の領土を示す記載がありますが、これにおいても竹島の位置は領土外となっている上、第二次大戦終了直後の教科書にも竹島の位置を領土外とする記載が、韓国自身の手によってなされているのです。

これは誰が聞いても、韓国が竹島の領有権を主張するのに無理があると感じますよね。

では何故、現在竹島が韓国の実行支配・侵略を受けているのでしょう。(日本が異議を申し立てているので、厳密には不法占拠)

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この経緯を説明するには、歴史を太平洋戦争時まで遡らなければなりません。

大戦以前、日本はアジアに広大な領土を有していました。

しかしながら、日本はこの戦争に敗北し、無条件降伏をすることとなります。

そこで問題となったのが、日本が進出していたアジアの地域です。

占領軍は、正式な決定がなされるまでの間の暫定処置として、日本の周辺にザックリとした領土のラインを一方的に引いてしまいます。(マッカーサーライン)

そして、このラインの日本側に竹島が入っていなかったのです。

もちろんその後のサンフランシスコ講和条約などを通して、このラインは見直しをされ、竹島を含んだ新たな日本の領土ラインが引かれるのですが、ここで異議を述べたのが韓国なのです。

正式な領土ライン決定直前に異議を申し立てた韓国は、竹島を韓国の領土に加えて貰えるよう、アメリカに願い出ます。

この際のアメリカと韓国政府のやり取りもしっかりと資料が残っておりますが、韓国の主張はメチャクチャなもので、その申し立ての中には竹島以外にも、存在しない伝説上の島までも含まれていたといいますから、この申し出に何の根拠もないことは明白ですよね。

当然アメリカもこの様な申し出を受け入れられるはずもなく、この韓国の願いを却下。

竹島は日本固有の領土であると述べた上で、日本と一度も戦っていない韓国は戦勝国でさえない旨を伝えたと言われています。

その後もアメリカは、日本に竹島を軍事訓練用に貸して欲しいと申し出るなど、極めて平和的に日本の領土として竹島の利用が行われて行きます。

尚、ここまでの日・米・韓のやり取りは、正式な文書としてアメリカ公文書館にて閲覧が可能ですから、これは揺るぎ無き史実と言えるでしょう。

しかしながら、1952年(昭和27年)、事態は大きく動き出します。

当時の韓国大統領 李承晩(りしょうばん)が、突如として竹島を含むだ韓国の領土ラインを主張し始めたのです。(李承晩ライン)

これに対して、日本とアメリカは厳正な抗議を行いますが、韓国は軍を派遣し、実質の実行支配・侵略を完了してしまうのでした。

そしてこの時から、日本と韓国、そして竹島は、現在の状況を継続し続けることとなるのです。

しかし当時は、今日の様に「竹島に近づくことが危険である」とは認知されていない時代。

日本固有の領海であるとの認識の元、漁船がこの海域に近づくことも珍しくありませんでした。

そして1953年、事件が起きます。

李承晩ラインに近づいた日本の漁船が、韓国軍からの突然の攻撃を受けた上、拿捕される事態となったのです。(第一大邦丸事件)

この事件は凄惨さを極めたものであり、操業中の日本漁船に対して、韓国軍は警告もないまま、突如として発砲したのです。

その際、船に乗っていた漁ろう長の瀬戸重次郎氏(当時34歳)は頭部に銃弾を受け重傷を負いましたが、漁船は他の船員もろとも韓国へとそのまま連行されてしまうのです。

そして拘束された乗組員たちは満足に食事も与えられない上、傷を追った瀬戸さんは手当もされずに放置されるという、最悪の待遇を受けるのでした。

瀬戸さんを気遣う乗組員からは、韓国の関係者に対して、再々の治療要請が行われますが、韓国側はこれを無視し、ついに彼は帰らぬ人となってしまうのでした。

この事件以降も、李承晩ラインに係わる韓国の日本漁船に対す襲撃、拿捕事件は後を断たず、その死傷者は一説に44人にも登ると言われています。

あなたは竹島、李承晩ラインに関して、これ程の数の日本人の犠牲者が出ていることをご存知でしたでしょうか?

そうです、ここでも真実を隠蔽しようとする日本のマスコミの体質が浮き彫りとなっているのです。

先日、自民党の議員が沖縄の新聞社を批判して、処分を受けていましたが、報道の自由と称して、真実をねじ曲げ、韓国・中国にばかり有利な報道を行うマスコミの姿勢は決して許されるものではありません。

左翼マスコミの排除こそ、我が国がまず行うべきことであるように思えます。

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少々話が反れましたので、本筋に戻ります。

こうした竹島の状況を受け、日本は何度も韓国に対して、国際司法裁判所に判断を仰ぐことを提案しています。

法廷という場で、竹島が日本の領土であることを、数々の証拠と歴史的な経緯に基づいて主張すれば、必ず日本の領土であることを認めてもらえるという自信が我が国にはあったのです。

しかし韓国は、その申し出に決して応じようとはしません。

竹島が韓国の領土だと言うのならば、裁判所の判断を仰げば良い・・・これは誰もが思うことですよね。

しかし彼らは、それを断固として拒む。

この態度から見ても、竹島の占拠が不当な侵略であることは明らかです。

私たち日本人は、竹島が日本固有の領土をあることをもっと声高に国際社会に訴え、これから大人になっていく子供たちに、この竹島の現状と歴史的な経緯をしっかりと伝えて行かなければなりません。

韓国では幼稚園の頃から、竹島(韓国的には独島)が韓国のものであるという旨の歌を覚えさせされ、教科書でもその旨を明記しています。

そしてスポーツの国際大会では選手までもプラカードを持って、あの島が自分たちの領土であるとアピールし続けているのです。

竹島近海には豊富な鉱物資源とエネルギー資源、そして漁業資源が存在しています。

その資源を目当てに、国家を挙げて日本の国土を奪おうとしている者たちには、断固たる抗議を行っていくべきではないでしょうか。

竹島侵略の経緯を、そして報道されない被害者たち声を聴き、今の自分に何が出来るか・・・、一度真剣に考えてみては如何でしょう。

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出典 wikipedia

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