東条英機 最後の言葉に託された英霊の遺言

東条英機という男の名を知らない方はおられないことと思います。

先の大戦において、戦争を指導し戦犯として処刑された権力者・・・そんな悪いイメージをお持ちの方が殆どであることでしょう。

確かにネットやテレビの戦争特番などを見れば、このイメージ通りの極悪軍人東条英機の像が描かれていますが、本当に彼はそうした人物であったのでしょうか。

戦後のメディアは日本軍をひたすら悪者に仕立てようとする悪意に満ちており、その情報をそのまま鵜呑みにするのは非常に危険であることは繰り返し述べて参りました。

本日は何かと悪役にされてしまう東条英機の実像に迫ってみたいと思います。

東条英機 靖国神社

画像出典 wikipedia 東条英機

東条英機は1884年(明治17年)7月30日、陸軍中尉 東條英教の三男としてこの世に生を受けました。

総理大臣を務めた方だけに、上流階級の出自であるように思われていますが、父親の陸軍中尉という役職は軍部でも左程高い地位ではありませんでした。

また、三男として生まれましたが、二人の兄は幼くして亡くなったそうですから、実質は長男として育てられることとなります。

そして1905年(明治38年)、21歳で陸軍士官学校を卒業し、これと共に陸軍歩兵少尉へとなります。

その6年後、高級士官への登竜門である陸軍大学校への進学を目指しますが、この年は受験に失敗し、翌年晴れて陸軍大学校に入学を許されます。

この時、既に結婚し、子供も生まれていたと言いますから、軍隊での仕事をこなしながらの勉強に、かなり苦労していたものと思われます。

陸軍大学校卒業後は、駐在武官としてスイス・ドイツへの赴任などをこなしながら、中佐、大佐と出世を重ねて行きます。

その後は中国に渡り、関東軍にて共産主義に走った兵士の取り締まりや、二・二六事件に係った者の検挙などを切っ掛けに陸軍中将となり、1940年(昭和15年)には陸軍大臣、そして遂には1941年(昭和16年)内閣総理大臣に就任するのでした。

東条英機 天皇陛下

実はこの総理大臣就任には、あるエピソードが伝えられています。

この時期、日本では既に戦争への気運が高まりつつあり、特に陸軍には戦争を強行したいとい勢力が力を持っていました。

そんな中にあって東条英機は陸軍からの信頼も厚い上に、戦争を回避したいと考える天皇陛下の意思を決して無下にしない義理堅い性格を評価されて、総理に抜擢されたというのです。

つまり東条英機は、陸軍の暴発を抑えつつ、戦争を回避するために選ばれた総理大臣であったのです。

事実、総理に就任した東条はあらゆる外交手段を用いて、戦争回避に奔走します。

しかしながら、日本から提案した和解策は悉くアメリカに拒絶され、最終的にアメリカから突き付けられた条件は、日本に自滅するか、戦争をするかの二択を迫るのに等しい内容のものでした。

これを受け、日本はついに開戦を決意することになりますが、東条英機は自分の不甲斐なさを嘆き、皇居に向かって号泣したとの逸話が伝わっています。

このような経緯を辿りながらも、戦争となれば勝つ意外に道はない。

東条は心を鬼にして、戦時下の総理大臣としての職務にまい進していくのでした。

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自分が止めることの出来なかった戦争に何としても勝利するべく必死で働く東郷でしたが、ある時は公務で出掛けた先において庶民のゴミを漁り、配給が行き届いているかを確認し、またある時は捕虜となった敵の命を助けるよう指示を出すなど、人道的な配慮を忘れることはありませんでした。

しかしながら、戦意の高揚を図りたい連合国からは、まるで悪の権化のように叩かれ、戦況の悪化に際しては、国内からも批判を浴び、ついには総理大臣の職を辞することとなります。

そして1945年(昭和20年)、ついに日本は戦争に敗れ、1946年(昭和21年)、東条英機は東京裁判(極東軍事裁判)にて戦争を指導した罪で裁かれることとなるのです。

この裁判においても東条英機の立派な態度は語り草となっています。

多くの被告たちが罪を逃れようと答弁する中で、東条英機は戦争責任は全て自分にあることを一貫して認めており、この対応が天皇陛下への責任追及を阻止する結果になったとも言われているのです。

また、戦争の責任は自分にあると認めながらも、戦争自体は日本を守るため、自衛のための戦いであり、国際法に違反するものではないことを主張し続けた東条でしたが、判事は全て連合国側の人間という不公平過ぎる裁判では、その意見が認められるはずもなく、絞首刑を言い渡されてしまいます。

なお、この裁判の途中で東条は自殺未遂を起こしており、責任逃れだと批判する方もおられますが、本人の口からは「戦争で命を落とした者達に『生きて虜囚の辱めを受けず』と自決を促す戦陣訓を示しながら、自分だけが生き続けることなど出来なかった」との言葉が語られておりますから、この事件も彼の強過ぎる責任感の元に行われたことであることをご理解頂けることと思います。

そして1948年(昭和23年)12月23日、ついに刑は執行され、彼はこの世を去りました。

これが東条英機という人物の一生であり、彼の生き様です。

終戦以降、マスコミは一貫して東条英機を批判し続けますが、こうした彼の生き様を知る多くの国民からは、彼の名誉を回復しようとする運動が起き、GHQの統治が終了した1952年(昭和27年)には、国会で戦犯全員の赦免が全会一致で可決され、彼の死も処刑から公務死へと改められることとなります。

これでもあなたは、東条英機を稀代の極悪人と思われるでしょうか。

では最後に、東条英機が残した2つの最後の言葉を記して、この記事を締めくくりたいと思います。

より多くの方にご理解頂くために、一部現代風に意訳、解説を加えておりますが、この最後の言葉には東条英機という男の魂、英霊たちから託されたの遺言が込められていると思います。

長文となりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

東条英機 東京裁判

処刑を前にした最期の言葉

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。

今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内における自分の責任は、死を持って償えるものではない。

しかし国際的な犯罪(自衛戦争でたったことが認められなかったことについては)については、どこまでも無罪を主張したいところであるが、連合国の力の前に屈したのだ。

自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。(侵略戦争を認めた訳ではない)

ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。

東亜の諸民族は、今回のこと(戦争)を忘れて将来相協力すべきものである。

東亜民族(植民地とされていたアジアの人々)もまた他の民族(白人)と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。

インドの判事には尊敬の念を禁じえない。(東条に対して裁判において理解を示した)

これをもって東亜民族の誇りと感じた。

そして、現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。

どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。

また、日本人が赤化(共産化)しないように頼む。

米国の指導者は大きな失敗を犯した。

日本という赤化(共産化)の防壁を破壊した。

いまや満州は赤化(共産党)の根拠地である。

朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。

米英はこれを救済する責任を負っている。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。

出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。

遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。

— 東条英機大将 遺言(部分)昭和23年12月22日夜 東京巣鴨(23日零時刑執行)

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逮捕される前に残された最後の言葉

●英米諸国人に告げる

今や連合国の方々は勝者であり、私たちは敗者である。

この深刻な事実は、認めざるを得ないところである。

しかし、あなた方の勝利は武力によるものに過ぎず、あなた方が正しかった訳ではない。

今ここで、その詳細を述べている時間はない。

しかし、あなた方が公平な眼で近年の歴史を見ているというのであれば、それは思い過ごしに他ならないだろう。

我々はただ武力が及ばなかったがために、正しい道を潰されたに過ぎないのだ。

どんなに戦争が手段を選ばないものであったとしても、原爆を用いて数万人、数十万人を絶滅させるのは非道としか言いようがない。

今回の戦いを最後にしなければ、何度も世界戦争が起き、人類は滅亡するだろう。

君らは自らの行いを大いに反省し、自分を顧みて、人の道に恥じない行いをするよう努めるべきである。

●日本同胞国民諸君

今はただ、天皇陛下の終戦のお言葉を大切に受け止めるのみである。

私には何も言うことがない。

ただ、大東亜戦争は連合国側からの挑発があってのものであり、私は日本の生き残りと、国民を守るために、しかたなく戦いに臨んだのだ。

その経緯は「昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔」に明記されている通りであり、何一つ偽るところはない。

それ故に、世界の世論が戦争の責任者を追及しようとするならば、その責任者は日本におらず、連合国の中にいるのだ。

そしてこれが事実であることは、連合国側にも同じ意見の者がいることを見れば明らかであろう。

●日本青年諸君に告げる

我が日本は神国である。

そして我が国の未来は、あなたたに一人一人が担っている。

私は諸君が敗戦の苦しみや怒りを耐え忍び、努力と修養に勤めつつ、今の状況を乗り切ってくれることを祈るばかりだ。

今、天皇陛下の国、日本は悲しみのどん底にある。

しかしこのような状況となったのは、あくまでも武力の差によるものであり、決して連合国が正しく、日本が間違っていた訳ではない。

また、この戦争で多くの同胞が国のために命を落としてが、彼らの強く美しい魂は、必ずこの国を未来永劫守り続けてくれるだろう。

彼らの死は、決して無駄死になどではないのだ。

願わくは諸君が大和民族として誇りをしっかりと持ち、3000年に及ぶ日本の歴史に習い、そして先輩方がそうであったように、天皇陛下の行く道を支えて欲しいと願う。

これだけが、私の願いである。

これから先の世は、邪な思想や、おかしな理屈が横行する世界となるだろうが、日本男児の真骨頂を失わぬようにして頂きたい。

真骨頂とはつまり、天皇陛下をお支えして、国を愛するという日本の精神、これに尽きるだろう。

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出典 wikipedia 東条英機

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