恥を知ることが日本人の美徳

恥じらい 日本人

 

近年、ニュースなどで目にする事件の内容が、非常に凶悪化しつつあるような気が致します。

幼い子供をいい大人が誘拐してみたり、親を傷付ける、兄妹を傷付けるなど、その枚挙には暇がありません。

以前の日本は安全と水だけは「ただ」と言われており、昭和30年代頃までは寝る時でさえ、玄関の鍵を閉める家庭は殆どなかったとも言われています。

では何故、安全だった日本がここまで危険な国へと変貌してしまったのでしょうか。

本日はこの点について考えてみたいと思います。

こうした事件の本質を知る場合において、非常に重要とされるのが犯行に至るまでの動機です。

しかし、最近の事件を紐解いてみても、腹が立ったから、お金が欲しかった等々、非常に短絡的な動機が目立つような気がします。

もちろん人間の本質は時代が変わっても、それ程の変化は無いはずですし、経済状況的にしても、昔の日本の方が現在よりずっと厳しかったはずです。

それなのにも係らず、現代の方が遥かに凶悪犯罪が多いの何故なのでしょうか。

こうした疑問を抱いている際に、たまたま目にした番組がありました。

それは某公営放送で放映されている番組で、芸能人や著名人のルーツを辿るという趣旨の番組であり、私が見た回は人気バンド「Y」のメンバー Hさんを取り上げたものでした。

Hさんの祖父は、約100年前に大西洋上で起きた有名な客船沈没事故に巻き込まれ、生還を果たした方であるそうです。

これだけでも大変な驚きだったのですが、それ以上に驚愕したのは、彼が無事に日本に帰って来てからのことでした。

現代であれば、奇跡の生還者として英雄のように扱われることだろうと思いますが、Hさんの祖父を待ち構えていたのは、世間からの苛烈な仕打ちでした。

それは「あれだけの女性や子供が犠牲になっている事故であるにも係らず、日本男児が命を惜しんで生き残るとは何事か」という、私たちには到底理解出来ないバッシングの内容でした。

そして更に驚くことには、バッシングを浴びた本人もこれに反論することはないばかりか、家族にさせ客船事故のことを語らなくなってしまったというのです。

結果、Hさん一家は引っ越しを余儀なくされたというのですから、これはとても悲しいお話です。

ただし近年になり、Hさんの祖父と共に客船事故から脱出を果たした方の証言が発見され、その生還劇の裏に他人を押しのける等の行為が一切無かったことが明らかになります。

Hさんが有名人であったことも手伝い、新聞などでもこの事実は大々的に取り上げられ、100年後にようやく名誉を回復することが出来たと言います。

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この話を聞くと、当時の人間は何て惨いことをするのだろうと、怒りを覚える方も多いと思いますが、私の感想は少々異なります。

確かに事実無根の罪で人を叩く行為は憎むべきことです。

しかし、日本人であるならば命を惜しまず、公のために尽くすべきであるという風潮が当時の日本に強く流れていたことも、同時に物語るエピソードであると感じました。

また、バッシングを浴びながらも反論しなかった細野氏の祖父も「事実無根ではあるが、言い訳は見苦しい」という高潔な精神の持ち主であったのではないでしょうか。

そしてこの点が、昔の日本人と今の日本人を分ける、大きな隔たりとなっているのではないかと、私は思います。

では、こうした違いをどのような言葉で表現したの良いのか・・・。

散々考えた揚句に出た結論が「恥じ」というワードでした。

日本は古くより、恥じという独特の概念を持つ民族と言われています。

古くは戦国の時代より、敵に背中を見せることを恥と考え、君主への裏切りは一命を賭して償わなければならない罪でした。

この概念は江戸時代に入っても武士たちの間で営々と受け継がれて来ましたし、大東亜戦争の戦陣訓を見ても「生きて虜囚の辱めを受けず」など、恥を最も憎む日本人の気質を窺い知ることが出来ます。

しかし大戦の敗北以来、こうした考えは国粋主義、軍国主義時代の悪習とのレッテルを貼られ、嫌悪され続けています。

そして、こうした恥らいを美徳とする概念を日本人が捨てた後、日本がどのように変わっていったか。

それは日々のニュースで伝えられる事件を見れば、簡単に知ることが出来ますよね。

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確かに人権を守り、弱者を守る社会は尊ぶべきものです。

しかし、個性は尊重されるべきであるとして、人の迷惑になる行為を行う。

当然に認められた権利であるから、自分の生活と家族のみを守り、近隣への配慮を欠く。

昔の方々から見れば、「恥じ」以外の何物でもない行為を容認する社会と風潮こそが、現代社会を蝕む元凶となっているのではないでしょうか。

人をイジめれば、恥ずかしい奴だと周りから軽蔑される。

子供や妻に暴力を振えば、町全体から恥ずかしい男だと思われる。

こうした感覚が社会に広がれば、イジメもDVもセクハラも、そして新聞紙面を賑わす凶悪事件の数々も減っていくのではないかと私は考えます。

戦争に敗れ、今の社会となったことで得たものは非常に大きいですが、失ったものは更に大きかったのではないか・・・そう思えてならないのです。

70年間で変わったことであるならば、70年あれば必ず取り戻すことが出来るはずです。

戦前の日本を嫌悪するのはそろそろ止めにして、日本人が本来持つ素晴らしさ、「恥を知る美徳」を再び取り戻してみては如何でしょうか。

近年の大震災の際などにも、暴動や強奪を行わない、日本人の本質の素晴らしさは今なお健在です。

世界に誇れる、誇り高き日本人となるべく、失われた「恥じ」という概念を取り戻し、社会をちょっぴり住みやすい場所に変えて行こうではありませんか。

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