日本の死刑廃止運動について考える!

日本の死刑廃止運動

 

先日、下記のようなニュースが飛び込んで来ました。

日弁連、初の「死刑廃止」宣言案提出へ 10月7日の人権擁護大会、「加害者の人権しか守っていない」…遺族や弁護士から反発も

かなり以前から弁護士たちにより、死刑を廃止しようという運動が起こされているのは知っていましたが、改めてこうした記事を読むと、心にズンと重いものがのし掛かってくるような気分になります。

そこで本日は、日本の死刑廃止運動について考えてみたいと思います。

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日本の死刑制度

「日本から死刑を廃止しよう!」、こうした論争が生じるくらいですから、当然ながら我が国では、死刑制度は存在しています。

しかしながら、この死刑制度には既に多くの問題が生じているのです。

まず問題なのが、「死刑になるには一定以上の人数の水準がある」ということ。

法令に「何人殺せば」なんて記述はありませんが、判例をみる限り、どんなに残虐な殺し方をしても、殺した人数が一人ならば死刑はありません。

また、刑を執行するのは、時の法務大臣の裁量に任されており、大臣が死刑反対論者の場合にはまず執行されることはありませんし、仮に実行すれば左翼マスコミが派手に騒ぎ立てるのが恒例行事。

これで果たして、死刑制度が機能していると言えるのでしょうか。

 

死刑が無くなれば、こうなる

このように、今でさえ問題だらけの死刑制度を、完全に廃止してしまったら、どのようなことが起こるのでしょうか。

そんなifの世界を見たいなら、フィリピンに行ってみると良いでしょう。

彼の国は死刑を廃止してかなりの年月が経過していますが、現在の有り様はとんでもないこととなっています。

街には麻薬中毒患者が溢れ、治安は最悪。

現在は、この悪しきループを脱却すべくドゥテルテ大統領の下、「死刑がないなら即射殺を」という対応が実施され、惨憺たる光景が展開しています。

こんな有り様が「私たちの日本の未来」だなんて、絶対に受け入れ難いですよね。

おまけに日本では射殺など出来ないでしょうから、無期懲役の犯罪者を養うために膨大な費用が国庫を圧迫し続けることとなるはずです。

治安は最悪となり、国は困窮、そして貧困により更に犯罪者が増加するというのは、正に最悪のシナリオですよね。

それにも係らず、「弁護士たちはこうした世界の実現を目指している」のです。

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弁護士たちの裏で暗躍する者たち

こうした他国の例がある中、どうしてエリート集団である弁護士たちが、我が国を貶めるような法体系を築こうとするのでしょうか。

その答えは、リアルな世界に生きていないインテリたちの夢想主義的な考えがあるように思えます。

彼らは、この世界が法に守られ、一定の秩序を保っているという信じて疑いを持ちません。

しかし現実の世界は、「法などくそ食らえ!」という、連中が山程いることを全く理解していないのです。

そして彼らの活動に拍車を掛けているのが、左翼思想を持つ団体や政党に他なりません。

「人権を守る」などというお題目を掲げながら、あくまでも彼らが目指すものは「日本と言う国家を破滅させる」ことです。

そんな連中の活動を、我々は絶対に許すことは出来ません。

 

日本の仇討ち制度

当然ながら我が国では、古来より死刑制度が存在していました。

また、これとは別に「仇討(あだうち)」という風習も存在していたといいます。

江戸時代には法令により仇討は禁止されていましたが、罰せられるのを覚悟で決行する者も少なくなかった上、世論は彼らをヒーローとして扱っていたのです。

この様に、我が国では古来より「罪を犯したものに厳しい罰を与えること」、そして「汚された名誉は自らの手で返上するのが当たり前」という文化が脈々と受け継がれて来ました。

過去記事「日本人の武士道精神について考えます!」でも書きましたが、こうした考え方は、実際の階級とは別に日本人全体に「武士的な考え方が浸透していた」という理由に他なりません。

この様に長年日本人の中に根付いて来た考え方を、戦後になって台頭して来た薄っぺらい「偽平和主義」に塗り替えることは絶対に不可能と言えるでしょう。

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新たな死刑制度を創立してみては

ここまでお話して来た様に、我が国で死刑を廃止することは、国民性的にも非常に難しものがありますし、現在の死刑制度さえ「手ぬるい」と考えている方も少なくありません。

また、「死刑が無くなれば、こうなる」の項でも記した通り、治安維持や財政的な面からみても、制度廃止は全くの論外です。

そこで私がご提案したいのが、古来の仇討と現在の死刑制度をミックスした新たな法体系の整備です。

それは、これまで通りの通常の裁判を行い、死刑が確定した者に対しての「刑の実行」を被害者の親族の意思表示により実行に移すというもの。

これならば誰が大臣になろうとも、刑の執行はコンスタントに行うことが出来るでしょうし、犠牲になった方々の無念も晴らされることでしょう。

また、殺害した人数に応じての「死刑判決」の決定についても是非改善して頂きたいものです。

新たな基準としては、「イライラしてやった」「誰でも良かった」など、動機に酌量の余地が無い者には、例外なく死刑を課するのが妥当でしょう。

理由もなく人を殺めた者に人権などありません。

被害者が味わった苦痛と恐怖をじっくり味わって頂かなければ、亡くなられた方もその親族も、そして国民も決して納得などしないのです。

先日もある有名女性僧侶Sが「殺したがるばかどもと戦ってください」などと発言していましたが、犯人の死刑を望む遺族たちに「ばか」という言葉を投げつけるとは流石ですね。

被害者の気持ちにもなれない、自分勝手なナルシスト。

これが死刑廃止を望む、左翼たちの正体なのです。

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