硫黄島の戦い 忘れられた遺骨と手紙

日本中の若者たちが憧れる大都会、東京。

日本の首都として、情報発信の中心地として、多くの人々が繁栄を謳歌している街です。

しかし、そんな東京都には、伊豆諸島そして小笠原諸島という島嶼部があることを、皆様はご存じでしょうか。

特に小笠原諸島は、本州から1000キロ以上離れた場所に位置しながら、立派な東京都内、走る車も品川ナンバーという土地なのです。

多くの島々は、豊かな自然と美味しい魚介類が楽しめる楽園のような観光地となっており、一年を通して多くの観光客が訪れる場所となっています。

そして、そんな小笠原諸島にある硫黄島(いおうとう)という島をご存じでしょうか。

一年を通して灼熱の太陽が降り注ぎ、活発な火山活動によりその名の通り硫黄の臭いが立ち込めるこの島は、太平洋戦争末期の1945年2月から一か月間に渡り、血で血を洗う日米の戦いが行われた激戦地なのです。

名優、監督としても名高いクリント・イーストウッドがメガホンを取った映画「硫黄島からの手紙」で一躍脚光を浴び、映画をご覧になった方も多いかと思われますが、本日はこの硫黄島の戦いについて考えてみたいと思います。

硫黄島 栗林忠道

 

太平洋戦争中、日本の国土で本格的な戦闘が行われたのは沖縄のみ・・・という認識の方も多くおられるようですが、この硫黄島でも戦いは間違いなく日本の領土内での戦いであり、沖縄戦よりも以前に行われた戦闘であったのです。

また、日本が建国して以来、初めて国土を他国、他民族に奪われた戦でもあります。

では、その戦いとは如何なるものだったのでしょう。

1945年当時、戦争も末期に差し掛かっており、日本はアメリカからの激しい空襲を受け始めていました。

アメリカの爆撃機は、日本から南方約2000キロの地にあるマリアナ諸島から、爆撃のために往来していました。

しかしこの距離、空襲を断続的には行うにはあまりに遠く、日本により多くの爆弾を投下するには、中継地点が必要だったのです。

日本からマリアナ諸島の間にあり、滑走路が設けられる島、それが正に硫黄島だったのです。

東京から約1000キロ、マリアナまでも約1000キロのこの島が軍事的要所であることは当然日本も気付いており、南方戦線の戦況の悪化と共に、その守りを固めて行くこととなります。

その防衛作戦の指揮官として、この島にやって来たのが栗林忠道陸軍中将(くりばやし ただみち)だったのです。

アメリカへの留学経験もあり、学生時代もその秀才ぶりと豊かな文才で名を知られた知識人であり、軍部でもその存在は異彩を放つものがあったとされています。

こうした栗林中将の切れ者ぶりは着任当初からその片鱗を見せており、まず島に元々住んでいた一般の住人を近隣の島に避難させ、戦闘への巻き添えにしまいとの配慮を見せます。

また、硫黄島にいた多くの士官が主張してした上陸して来るアメリカ兵を海岸で討つという作戦に異を唱え、敵兵を島内深くに引き込んでからのゲリラ戦を推し進めて行きます。

この突飛な主張は、士官たちからかなりの批判、突き上げを受けたようですが、栗林中将はこれに負けることなく、この作戦を推し進めて行きます。

また、ゲリラ戦での有利な展開を図るために、硫黄島に配置された23,000名の兵士たちには長大な地下トンネルを掘る作業が命じられます。

この頃の日本軍には充分なスコップ、ツルハシなどは既になく、木製の道具や素手での作業を行わなければならなかった上、食料も大幅に不足、そして何より硫黄島には川・湧水の類は一切存在せず、飢えと渇きに耐えながらの重労働を行うこととなったのです。

作業中にも、噴き出す硫黄や気温70℃にも達する地下の環境により、事故や病気などで多く死者や負傷者を出しましたが、最終的には全長28kmにも及ぶ地下陣地を完成させることに成功するのでした。

そんな中、栗林中将から硫黄島防衛の戦闘方針とも言える「敢闘ノ誓」が兵士たちに配られるのでした。

この書には、

一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン 一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン

一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン

一 我等ハ一發必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ打仆サン

一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ

一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

 

等の戦いの心得が記載されていました。

ここで特筆すべきは、栗林中将は既にこの戦闘を、徹底的なアメリカ軍への足止め作戦と考えており、先に記した地下壕の建設も、勝てはしないものの、一日でも長くゲリラ戦を継続し、日本本土への敵の進軍を遅らせようという意図の元に行われたことだったのです。

そして栗林中将はこれに加え、二つの重要命令を兵士たちに下します。

それは、自決の禁止とバンザイ突撃の禁止というものでした。

現在の我々が聞けば、大変に人道的な命令に聞こえますが、これは大きな間違いです。

満身創痍であり、勝つ見込みのない兵士たちにとっては、自決と突撃による名誉ある死こそが救いであったと言います。

これを聞いた兵士たちからは、栗林中将への反発が生じますが、これに対して彼は「我々の目的は一日でもアメリカの侵攻を足止めすることにある。一日でも我々が生き延びれば、本土に残して来た家族がその分生き延びることが出来るのだ」と説いて聞かせ、この言葉に異論を唱える者は居なかったと言われています。

こうして徹底抗戦を意志を固めた硫黄島に、ついにアメリカ軍の大軍が忍び寄って来ます。

硫黄島 上陸

※陸上自衛隊HPより引用

硫黄島守備隊の人数約23,000名に対するアメリカ軍の兵力は110,000名、その差約5倍という圧倒的な戦力の差でした。

その上、海・空は完全にアメリカの支配下におかれていましたから、その雌雄はあっという間に着くかに思われました。

開戦と共に、アメリカ艦隊は空と海から苛烈な爆撃で日本軍を責め立てます。

その凄まじさは語り草となる程であり、あるアメリカ海兵は「俺たち用の日本人は残っているのか?」とジョークを飛ばす程であったと言います。

長時間の爆撃を終えた後、遂にボートによりアメリカ軍の上陸作戦が幕を開けます。

しかし、日本軍からの抵抗は一切なく、アメリカ海兵隊員たちは島の内部へと歩を進めます。

そして海岸から500mの地点、突如として日本軍の猛反撃が始まるのでした。

その後の戦いは、日本軍の思惑通りゲリラ戦の様相を見せ始め、大方の予想に反して一カ月間にも及ぶ長い戦闘に発展していくのでした。

開戦当初、日本軍の反撃は凄まじく、僅か3日でアメリカ軍に戦死者約650名、負傷4000名という大打撃を加えますが、5日目の23日、戦局は大きく動きます。

硫黄島にある唯一の高台、摺鉢山をアメリカに奪われてしまうのです。

摺鉢山の砲台からの後方支援を受け、戦闘を優位に進めていた日本軍ですが、ここからは逆にこの山からの狙い撃ちを受けることとなってしまうのです。

この際に、アメリカ軍の手により摺鉢山の頂上に星条旗が立てられたシーンは、この大戦を象徴する写真として後世に伝わって行きます。

非常に有名な写真ですから、皆様も一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。

そのシーンを見れば、硫黄島の戦いは既に終わったような印象を受けますが、本当の戦いはここからだったのです。

日本軍は摺鉢山を奪取されても、蟻の巣のような地下壕を駆使しての必死の抵抗を続けます。

山の頂上に立てられた星条旗も翌朝には、何者かの手により日章旗に建て替えられており、慌てたアメリカ軍に再び星条旗に差し替えられました。

しかしその翌朝も、気が付けば日の丸に差し替えられていた上、日の丸の赤は人間の血により描かれていたというエピソードからも、この戦いの凄絶さが伝わって来ます。

戦闘開始から7日目、既に日本軍の兵力は当初の半分まで減少していましたが、この頃よりアメリカ軍による地下壕への火炎放射器での攻撃が開始されます。

この攻撃が行われることを予想していた栗林中将は、地下壕の穴を複雑に入り組ませていたため、壕の深部までは炎が届かなかったのですが、通常でも気温50度以上の洞窟を火炎で炙られる上に、飲み水は殆どない状態であり、戦場は正に地獄の様相を呈し始めるのでした。

灼熱の穴の中でじっと息を潜め、隙を突いて飛び出し敵に攻撃を仕掛ける・・・、そしてアメリカ兵に見つかった仲間が次々に撃たれ、炎に焼かれる・・・この攻防がその後20日間も続いたのです。

その様子は、まるでアメリカ軍による害虫駆除の様であったと、後に生存者は語ります。

そして3月17日、疲弊しきった兵士たちを引き連れた栗林中将は最期の攻撃を敢行します。

しかしこの期に及んでも、彼らの攻撃は死を覚悟してのバンザイ突撃ではなく、立派な奇襲作戦となっており、どんな手段を講じてでもアメリカ軍の本土侵攻を遅らせたいという強固な意志を貫いていたのです。

最期の攻撃はアメリカに対して大きな打撃とはなりましたが、その結果は惨敗となり、殆ど全ての兵は殺害され、栗林中将も島の土に倒れたのでした。

これにより、硫黄島の大きな戦いは終了しますが、生き残った日本兵は散発的ながら終戦まで抵抗を続け、終戦から4年たった1949年(昭和24年)にも、2人の日本兵が保護されるなど、この島の戦いはその後も永く続けられました。

硫黄島の戦いにおける日本軍の損害23,000名中、戦死者約18,000名。

アメリカ軍の損害110,000名中、戦死者約7,000名、負傷者約22,000名。

負傷者の数を合わせれば、敗れはしたものの大戦後期において唯一、日本を上回る損害をアメリカに与えた戦いであり、アメリカ軍高官をして「勝者なき戦い」と言わしめた激戦でした。

大戦末期であったため硫黄島の戦いにおいては、日本人の戦闘員の殆どは、サラリーマンや教師などの民間人であり、彼らは飢えと渇き、そして猛烈な暑さに耐えながら、祖国のため、家族のために自決も突撃もせずに戦い続けたのです。

彼らに助けられ命を繋いだ我々は、決して彼らへの感謝の心を忘れてはならないのです。

しかし・・・平成の時代となった現在でも、この島を巡る戦いは続いていることをご存じでしょうか。

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まず語るべきは、遺骨収集の問題です。

終戦後70年経つ現在でも、南方戦線には多くの英霊たちのご遺骨が回収されないまま、野に曝されています。

もちろんこうしたご遺骨もいち早く回収されるべきであるが、硫黄島は紛れもない日本の国土であり、東京都に属する場所です。

それにも係らず、戦死された方の約半数9,000名分もの遺骨が未だ回収されずにいるのです。

※遺骨収集事業は行われているが、極限られたエリアしか立ち入ることが出来ない

そして大戦当時、日本本土に向けての爆撃基地建設を急いだアメリカ軍は、大地に倒れる日本兵の遺体の上にコンクリートを敷き、滑走路を建設してします。

現在、硫黄島は自衛隊の基地が建設され、一般人の立ち入りは禁止されていますが、この多くの日本兵の遺体の上に建設された滑走路はそのまま現在も使用され続けているです。

また、最期の攻撃で命を落とされた栗林中将の遺骨も、未だ遺族の手に返されていません。

それどころかご遺族は、栗林中将の法要を行おうとすると、18,000名もの兵を殺した悪人の供養をするのか!という心無い人々の反発に合い、近年まで満足な供養をさえすることが出来ないでいたというのです。

私が敬愛する独立総合研究所社長の青山繁晴氏の呼び掛けや、映画「硫黄島の手紙」などの影響から、近年ようやく法要を行うことが出来るようになり、栗林中将の死を悼む方々が多く参列するようになったとのことですが、祖国のために戦って命を落とした名将の霊を親族でさえこれまで弔うことが出来なかったという事態は、明らかに異常なことではないでしょうか。

敗戦後の日本が、こうした異常な事態に陥るきっかけとなったのは、教育が、社会が太平洋戦争当時の日本は間違った侵略戦争を行った悪者だから、その戦争で亡くなった者たちにも手を合わせるのはとんでもないことだ!という誤った風潮を作って来てしまったことに他なりません。

祖国を守るため、日本本土への敵の進攻を文字通り身体を張って防いだ方々に、このような仕打ちを行って良いはずがないのです。

そしてここに、硫黄島で亡くなった多く方々がどんな思いで戦い、散って行ったかを如実に示す資料(手紙)があります。

それはこの戦闘に加わった士官、市丸少将が自分が殺された後、アメリカ軍に遺体を調べられることを予測し、身体に巻きつけていたアメリカ大統領に向けた手紙です。

その内容は下記のようなものでした。

※原文の後に訳文があります

日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。

我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。

日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。

之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。

貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。

畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。

之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。

我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。

我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。

我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。

之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。

卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。

之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。

近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。

大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。

卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。

只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。

卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。

大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。

飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。

今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。

卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。

凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。

卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。

願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。   市丸海軍少将

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現代人にとっては少々難解な文章なので、かなりの意訳になりますが、現代風に訳させて頂きます。

日本海軍市丸少将が硫黄島での戦いを終えるに当たり、アメリカ大統領にお手紙致します。

幕末の開国以来日本は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変等、我々が望んでもいない戦いを経て、不幸にもアメリカと戦うこととなりました。

あなた方はこの戦争を、日本人が野蛮であるからとか、黄色人種が劣っているからとか、日本の軍部が暴走しているなどと言いますが、これは大きな間違いです。

戦争の理由について、あなた方は日本の真珠湾への奇襲攻撃を挙げますが、私たちが戦争に踏み切った理由は、あなた方からの経済制裁(石油の輸入禁止などの処置)により自滅されられそうになったためであることは、あなたが一番知っているはずです。

私たちの天皇陛下が平和を愛する方であることは、あなたの叔父 セオドア・ルーズベルトも良く知っているはずです。

私たちの国には多くの階級、職業の者たちがおりますが、私たち軍人も含め、日本国民はこの天皇陛下の平和を愛する心が実現された世界「大東亜共栄圏」(以下 天皇陛下の平和事業)設立のお手伝いをしているだけなのです。

現在、私たちの国は物資の豊富なアメリカに凄まじい攻撃を受けていますが、我々の心は晴れわたっているのです。

なぜなら、この天皇陛下の平和事業の実現は日本国民共通の願いであるからです。

しかしあなた方には、その心の弱さのため、私たちの理想を理解して頂けないようですので、一言申し上げます。

あなた方白人がしていることは、有色人種(黄色人種・黒人)を奴隷にして、世界の利益を独占しようとしていることに他なりません。

その為にあなたがたは、言葉巧みに有色人種を騙す「悪意ある善政」を行い、私たちから考える力を奪い、無力なものにしようとしてきました。

私たちはそんなあなた方から独立を果たそうと努力し、他のアジアの国々を解放しようとしておりましたが、我々の真意も理解しようとはせず、かつては友人であった私たちに、日本人は有害であり、滅ぼすべき民族であると世界に喧伝して来たのです。

それが、あなた方の神の正義なのですか?

もし、天皇陛下の平和事業が成功すれば、アジアの民族はそれぞれ独立を果たし、平和な世界が実現したはずであり、あなた方の妨害さえ無ければ、その実現は決して遠い未来のことではなかったのです。

あなたたち白人は既に十分に反映しているではありませんか。

あなた方が何百年にも渡り、搾取を行って来たアジアの人々が独立を果たそうとするのを何故阻止するのですか。

それは東洋のものを、東洋に返すという当たり前のことではありませんか、どうしてあなたがたはそうも貪欲で懐が狭いのですか。

天皇陛下の平和事業は決してあなた方白人を害するものではありません。

むしろ世界平和に貢献するものであり、私たちはそれをあなたたちに理解して欲しいだけなのです。

あなたたち西洋の情勢を振り返って見ても、無益な争いばかりではないですか。

ヒットラーのことを今ここで論じるのは控えますが、彼が戦争に踏み切った理由は、第一次大戦の敗戦国であるドイツに全ての責任を負わせ、あなた方がドイツに極端な圧迫を行ったことが原因であることは明らかです。

もしあなた方がドイツを倒したとしても、その後は共産主義であるソ連と手を組んでいかれるつもりなのですか?

もしそうであるなら、強国が支配する世界は何も変わりませんから、また争いが起こるだけではありませんか。

あなた方の野望(日本を倒す)はあと一歩で実現しようとしています、さぞかし得意な気持ちになっておられるでしょう。

しかし、あなたの先輩ウイルソン大統領はそんな絶頂期に失脚したのです。

どうか私の意見に耳を貸し、ウイルソン大統領の二の舞なならぬようご注意頂きたい。 市丸海軍少将

要約させて頂きましたが、市丸海軍少将の手紙にはこのような内容が書かれています。

そうです、硫黄島で命を落とされた方々の多くは、こうした想いを胸に抱きながら、祖国へのアメリカの侵攻を一日でも遅らせるために、戦い抜いたのです。

こうした方々のご遺骨を放置することは、日本国民として許されることではありませんし、ましてや遺骨の埋まったままの状態で滑走路として使用するなど有り得ないことです。

一刻も早いご遺骨の回収と、日本国民全てが亡くなっていった方々に対し、深い感謝の気持ちを持てるようになれることを私は強く希望します。

2013年4月14日、このような状況にある硫黄島に一人の男が降り立ちました。

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彼は飛行機から降り立った瞬間、多くの英霊が未だその下に埋もれたままになっている滑走路に土下座をし、焼け付くアスファルトに額を擦り付け続けました。

その男の名前は、内閣総理大臣 安倍晋三です。

安倍総理は硫黄島の歴史を充分理解した上で、菅直人元総理がズカズカと土足で歩いていった滑走路に土下座をし続けたのです。

集団的自衛権の行使容認の問題で、アベ戦争政治、阿部総理は再び戦争を起こそうとしているなどの妄言が飛び交っています。

しかし、この男は未だ故郷に帰れない方々に心から詫び、総理大臣という立場であるにも係らず、彼らに土下座を続ける心根の持ち主なのです。

亡くなった方々に対して、この様な気持ちを持つ男が、日本の若者たちを戦争に連れて行くと思いますか?

こうした犠牲者を二度と出したくなくからこそ、自分の政治生命と引き換えにしてでも、安保法案を通過させようとしているのです。

安保法案への反対を叫ぶ方々には、祖国を守るため、自身の子供たち、孫たちの安全を守るために、何がこの国に必要なのかを、マスコミの報道や周囲の雰囲気ではなく、自分自身の頭で、心でご判断頂きたいと願います。

少々脱線しましたが、再び話を遺骨に戻します。

また、滑走路に眠る遺骨の収集作業は決して簡単なことではありません。

一端、仮の滑走路を造る土地を整備し(この土地でも遺骨の収集が必要)、広大な面積のアスファルトを剥がした上での収集作業が必要となり、5億円規模の予算が必要と言われています。

阿部総理は出演された番組で、当然この事業を行うつもりだと話しておりましたが、この事業が心無い一部の国民たちに反対されることなく、無事に行われることを心から祈るばかりです。

では最後に、先程お話した終戦4年後の1949年(昭和24年)に保護された日本兵の生き残りの方のその後についてお話させて下さい。

その中のお一人は、日本へ帰国後(当時の硫黄島はアメリカの支配下にあった)、硫黄島に日記を残してきてしまい、本を出版するにあたりどうしても取りに戻りたいと願い出ます。

アメリカ軍立会いのもと、硫黄島に戻った元兵士の方でしたが、監視の隙を突いて崖から飛び降り、「万歳」と叫びながら亡くなったそうです。

彼は戦争も終わり、平和になった日本に帰って来たにも係らず、なぜ飛び降り自殺をする必要があったのでしょうか?

亡くなった戦友に申し訳ないという気持ちが強かったとも言われていますが、本当に理由はこれだけだったのでしょうか。

多くの仲間を失い、ボロボロになりながら戦って帰って来てみれば、世間の自分に対する目は、まるで侵略戦争を起こした罪人扱い。

そして、そんな国になってしまった祖国を儚んで、自ら命を絶たれたのではないのか。

私にはその様に思えてならないのです。

日本人は世界で唯一祖国を失った民であると言われています。

それは自分たち国民が、祖国の歴史を全て間違いであると教え込まれているからに他なりません。

祖国を失い、先人たちへの感謝の心が持てない国に明るい未来が開けるはずがない、硫黄島の戦いにおいて残された遺骨と手紙は、このことを私たち伝えたがっているように思えてなりません。

日本が、英霊たちが静かに眠れる祖国に戻るまで、あの戦争は決して終わらないのかもしれません。

 

出典 wikipedia

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