ガダルカナルの戦い 日本が生き残りを掛けて挑んだ死闘

先の大戦において、日本が壊滅的な敗北を喫したことは、当然ながら皆様もご存じのことと思います。

しかしながら、何が原因で、どの様に日本が劣勢に追い込まれていったかの経緯については、あまり詳しくご存じの方は少ないようです。

日本が敗北する切っ掛けとなった戦いは、以前記事にした「ミッドウェー海戦」との認識が一般的ですが、ミッドウェー海戦と並んで日本の劣勢を決定付けたのが、南方で行われた「ガダルカナルの戦い」であると言われています。

そこで本日は、日本が生き残りを掛けて挑んだガダルカナルの戦いについて記してみたいと思います。

ガダルカナル ソロモン諸島

 

太平洋戦争(大東亜戦争)は、初めから勝ち目のない戦いであったと言われることが多いのですが、少なくともミッドウェー海戦に敗北するまでは、圧倒的に日本に有利な戦いが行われていました。

確かに戦争が長引けば、連合国の国力に敗れることとなるのは自明のことであり、当時の軍部の中には早期に出来る限りの勝利を収め、講和に持ち込もうという勢力が力を持っていました。

そこで計画されたのがミッドウェー海戦であり、この戦いで勝利し、有利な条件での講和を行おうと試みた日本でしたが、充分に勝てる戦力を持ちながらもアメリカに敗北を期してしまったのです。

ミッドウェー周辺は、アメリカとオーストラリアの物資輸送に欠かせない要所でしたから、例えこの海戦で敗れても、再びこの周辺を日本が抑えることが出来れば、反撃に転じることも充分に可能でした。

そこで立案されたのが、西太平洋ソロモン諸島に存在するガダルカナル島への基地建設でした。

1942年8月当時、既に日本はガダルカナル島600名の兵士を派遣し、飛行場の建設を開始しておりました。

しかしミッドウェー海戦の勝利で勢いをつけた連合軍は、この島を日本軍から奪取するべく、兵力の派遣を決定します。

ここで発生したのが、ガダルカナル島の戦いなのです。

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ガダルカナル島に派遣された600名の日本兵が、基地建設に汗を流している頃、突如としてアメリカ軍がこの島への攻撃を開始します。

海上と空からの強烈な爆撃を行った後、島には10000人を超すアメリカ海兵隊が上陸を開始します。

元々600人と言う少ない兵力だった上、完全な奇襲を受けた日本軍は、まともな反撃さえ出来ずにジャングルの奥深くへと逃げ込みます。

そしてアメリカ軍は、建設中の日本軍基地を奪いとり我が物としてしまいます。

この攻撃の知らせは直ぐに日本本土へもたらされますが、突然攻撃を受けたガダルカナル島守備隊が正確な的な規模を把握できるはずもなく、敵兵力は2000名程度であると判断されてしまいます。

そこで日本はガダルカナル島に空母・軍艦を派遣し、アメリカとの海戦を開始します。(第一次ソロモン海戦)

この戦いで日本は勝利を収めますが、敵艦隊は駆逐したものの島への物資輸送は殆ど行えない状態でした。

しかし救援部隊の派遣は成功し、一木大佐率いる2300名の部隊が島の土を踏みます。

先に記した通り、想定されるアメリカ軍の兵力は2000名でしたから、一木隊は果敢に基地奪還に向けての攻撃を開始しますが、相手は5倍以上の兵力を要しておりますから全く歯が立たず、死亡者2000名以上という壊滅的なダメージを受け、食料も持たないままジャングルへの逃げ込むことになってしまいます。

実はこの時、アメリカ軍側の兵士たちも海戦に敗れたことにより、食糧難に陥っていたのですが、一木隊駆逐の後に物資輸送に成功し、その力を盛り返していきます。

そして一木隊の敗北を知った日本は、更なる増援を開始します。

ガダルカナル 海戦

 

既に周辺の海域は、連合国の支配下となっておりましたし、日本には殆ど空母が無い状態でしたから、1000キロ先の基地から派遣されるゼロ戦の僅か数分の爆撃と言う心細い援護の中、二回目の海戦が始まります。(第二次ソロモン海戦)

しかしながら、当然戦いを優位に進めることは出来ず、日本は敗北し、物資の輸送はほぼ皆無、川口少将率いる約4,000名の川口隊のみが島に上陸します。

その後も追加の物資支援が行われますが、夜の闇に紛れての細々とした補給(鼠輸送・蟻輸送)しか行えず、武器も食料も不足した兵士のみが島に残されることとなるのです。

上陸を果たした川口隊は、当初から島にいた守備隊・一木隊の生き残りとも合流しますが、彼らはガリガリに痩せ衰えていた上、マラリア等の伝染病に冒されており、もはや兵力とは言えない状態であったと伝わります。

この様な状況であるにも係らず、川口隊は総攻撃の準備を開始します。

ところが補給の不足はここでも大きな問題となり、当初計画していた正面から攻撃を行うには、武器の数も、兵士の数も足りないとのことで、基地の裏にある山を掻き分けての奇襲作戦を行うことになります。

しかし、そのジャングルは進むべき道もない険しさであり、基地の裏側に到達した際には、殆どの兵士が戦える状態にない程のダメージを負っていました。

それでも日本軍の総攻撃は開始されますが、まともな武器も持たず、士気も低い兵が勝利出来るはずもなく、戦場となった丘は「血染めの丘」と呼ばれる程の惨状となってしまうのでした。

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更なる基地奪還の失敗の報を受けた大本営は、ついに本気での反撃を開始します。

百武中将率いる20000名の師団と物資をガダルカナル島へ派遣するという策でしたが、やはり問題は海上輸送でした。

苦戦を予想し、大艦隊を組織した日本でしたが海戦には敗北。

翌日の戦闘で、海上からアメリカの飛行場を破壊することに成功するも、その全てを使用不能にすることは出来ず、制空権を奪うには至りませんでした。(サボ島沖海戦)

兵士は無事に上陸出来たものの、またもや食料・弾薬は殆ど荷揚げすることが出来ない状況だったと言います。

この上陸作戦失敗を受けて、百武隊は再び間違いを冒します。

前回の総攻撃で失敗したジャングル越えを、再び行うという作戦に出たのです。

しかし、結果は惨憺たるもので、多くの死者・負傷者を出し、再び「血染めの丘」を現出させる結果となってしまいます。(第二回総攻撃)

ガダルカナル 撤退

 

その後も海からは、南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦と戦いを仕掛け、時には日本が勝利することもありましたが、物資の輸送には失敗。

人員のみ10000人の増援を果たしますが、これは島に残された者達の飢えを加速させるだけになってしまいます。

この段階での日本軍の戦力は20000~30000人に膨れ上がっていましたが、飢えと病気により戦える状態にあるものは8000人程度であったに対して、アメリカ軍は50000人を超える部隊へと膨れ上がっていました。

そしてついに、大本営はこの島からの撤退を決断し、その後の撤退作戦で約10000人に及ぶ生き残りの将兵が救助されることとなりました。

この撤退により、長きに渡ったガダルカナル島の戦いは、日本の敗北という形で終結するのです。

そしてこの戦いにおいて、日本はミッドウェー海戦以上の艦船、飛行機、そして人材を失うことになってしまうのでした。

もしもこの作戦の当初から、全力の部隊を投入していれば、物資の不足や、無謀なジャングル越えも必要なかったはずですし、多くの優秀な人材や戦艦・飛行機を失うこともなかったはずです。

ミッドウェー海戦に次ぐ、勝てたはずの戦いでの敗戦が日本を窮地に陥れていったのでした。

しかし、この戦いで命を散らせていった方々は、その人生を投げ打って日本のために尽くしてくれました。

無謀な戦いで無駄に亡くなったのではなく、アメリカ軍との生き残りを掛けての死闘を演じた英霊として、感謝の気持ちを後世に伝えていくべきなのではないでしょうか。

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出典 wikipedia

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